2015年3月7日土曜日

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エチオピア連邦民主共和国(エチオピアれんぽうみんしゅきょうわこく)、通称エチオピアは、東アフリカに位置する連邦共和制国家である。東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリア、北東をジブチに囲まれた内陸国。隣国エリトリアは1991年にエチオピアから分離した国家である。首都はアディスアベバ
アフリカ最古の独立国として知られる。サハラ以南のアフリカでは、ナイジェリアに次いで二番目に人口の多い国である。

正式名称はアムハラ語で、የኢትዮጵያ ፈደራላዊ ዲሞክራሲያዊ ሪፐብሊክ(ラテン文字転写は、Ityop'iya Federalawi Demokrasiyawi Ripeblik)。通称、የኢትዮጵያ (Ityop'iya Ityopya.ogg 聞く[ヘルプ/ファイル])。
公式の英語表記は、Federal Democratic Republic of Ethiopia。通称、Ethiopia
日本語の表記は、エチオピア連邦民主共和国。通称、エチオピア。漢字による表記は哀提伯。他にエティオピアとも表記される。
国名のエチオピアは、ギリシャ語の「日に焼けた」という意味のアエオティプスに因むが、これはエチオピア人の肌の色に由来しており、本来の意味はアフリカ大陸の広範囲に渡る地域を指す。ギリシャ神話パエトーンを参照。また、別名のアビシニアは、アラビア語でエチオピア地方およびその地にやってきたセム系民族アクスム人(別名ハバシャあるいはアバシャ。アムハラ語:ሐበሻ hābešā/አበሻ `ābešā)を指すアル・ハバーシャ(al-ḥabašah الحبشة)が転訛した物である [1]
ヨーロッパ人にはアビシニアと呼ばれていたが、1270年から1974年までの長きにわたりエチオピア帝国と称してきた(1936年からの5年間イタリア領東アフリカに編入された時期を除く)。1974年のクーデターの後、1987年まで社会主義エチオピア1991年までエチオピア人民民主共和国と称し、1995年憲法改正によりエチオピアとなったが、1995年に再度の憲法改正により現在のエチオピア連邦民主共和国となった。

エチオピア連邦民主共和国
የኢትዮጵያ ፈደራላዊ ዲሞክራሲያዊ ሪፐብሊክ
Ityop'iya Federalawi Demokrasiyawi Ripeblik
(アムハラ語)
エチオピアの国旗エチオピアの国章
国旗(国章)
国の標語:なし
国歌親愛なる聖エチオピア
エチオピアの位置
公用語アムハラ語
首都アディスアベバ
最大の都市アディスアベバ
政府
大統領ムラトゥ・テショメ
首相ハイレマリアム・デサレン
面積
総計1,127,127km226位
水面積率0.7%
人口
総計(2013年93,877,025人(13位
人口密度83.2人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2013年8,527億[1]ブル
GDP (MER)
合計(2013年460億[1]ドル(85位
GDP (PPP)
合計(2013年1,267億[1]ドル(73位
1人あたり1,427[1]ドル
建国紀元前10世紀ごろ
通貨ブル (ETB)
時間帯UTC (+3)(DST:なし)
ISO 3166-1ET / ETH
ccTLD.et
国際電話番号251

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